生きているヒトの日記

基本的に誰かに読んでもらうものではない。生きたいよう生きている我儘な内容でもよければゆっくりしていってね。

対話

あー結構暗い日記なんで、チラシの裏的な内容なんで、誰かに伝える媒体ではないんで。予め書いときます。

 

 

現在休職中。ふとしたときに会社のことを思い浮かんでしまう。

そして申し訳なさとよくわからない感情で泣きそうになる。

子にとって親の死はそこまで大きなストレスではないと言われているらしい。

いづれ自分より死ぬのは当たり前だから。(以下略

心療内科の先生は自分がうつ病になっていことに不思議がっていた。

確かにその通り。だけど、死に方、別れ方がいづれも突然なためか受け入れたつもりが受け入れられていないようだ。

そのせいか棺桶に入った状態と心境を何度も思い出す。

運転中、ちょっと綺麗な景色が見えると「見せたかったなあー」と思ってしまう。

レガシィに乗っていると、「運転させたかったなー」と思ってしまう。

肩をもんでほしいと頼まれたが自分が眠たいがために適当に済ませてしまったことを悔いてしまう。

など

理性では「もう済んだこと。過去の過ちは取り返せないし、そもそも過ちとも思っていなかった。何度も繰り返すこと」と分かっている。

だけど感情がついていかない。いわゆる欲求不満なのかな。マズローの第4の欲求、承認欲求があたりそう。

ただ理性でも認められていないのは仕事を理由になかなか実家に帰れない、帰れても2、3日滞在する程度。大型連休なんて無いと思わないと気が持たない生活を続けていたこと。

そしてあと10数回程度会えるかなと考えて数回程度数えたところで別れたこと。これを自分は失ったと感じていること。なので次は何を失うのか、兄を失うのか、と。

そのせいか、「自分は何のために生きてきたのだろう」と思うこともあった。

自分が遠出をよくするのは自分もいい景色を見たいし感じたい。その感想を身近な人に伝えたい。だからいいカメラでいい写真が撮れる様努める。

それを伝える相手がいなくなった。その喪失感がある。

兄がいなければ自分も命を絶っていたかも、とそう感じることもある。高いところとかに行くとこのまま落ちたら楽になるかな・・・そう思うこともある。

実際しないけど。想像はする。

 

トリガーは親の死だけど、うつ病たらしめる要因として親族からの遺伝もあるらしい。

心療内科の先生から言われたがピンとこない。無理やり結びつけるとしたら母親がずっと家にいてつまらんと話していたことか。

親族にうつ傾向の方がいれば25%の割合で発症するらしい。

もしかしたらそうなのかも。

 

何にしても、とりあえずは抗うつ薬を飲んでゆっくり治しましょうと先生から言われている。ネット知識だと幸せの元などと言われている?セロトニンが不足しているのでそれを十分な量だけ満たせれば「治った」と言われているらしい。

過去は悔いているけど、今は未来を変える準備期間になるよう活かしたい。

運動したり、平日昼間を利用してできていなかった手続きをしたりしているけど、結構心労が大きく、帰ったら泣きそうになる感情でいっぱいになる。どんだけ寝ても目のクマは取れないし、寝足りない。今は自我を甘やかしておきたい。まだ自我は泣いているのだと思う。