生きているヒトの日記

基本的に誰かに読んでもらうものではない。生きたいよう生きている我儘な内容でもよければゆっくりしていってね。

最後の大学院生ですか?

明日ていうか,今日で大学・大学院生活が終わり,ということになる。
てなわけで,ちょっとチラシの裏のネタでも以下に綴る。
最後くらいきれいごと言わせてくれ(笑)自分の部屋,机は散らかったまんまだけど・・・



大学1回生のころから,これをやりたい!ということはないけれど,とにかく好奇心旺盛で
いろいろなことに手を出していたけれど,どれもやりっぱなしで,どれも失敗していた。
そのうち好奇心とやらは萎えていって,4回生のころになると半ば廃人になっていた。
そんなうちに
「そんなうちに自分はなんで大学にいるのだろう?」
「大学って高校よりも上級のことを学ぶよね?なんで何もできないの?」
誰からも言われもしないことで落ち込み,それに怒るもやっぱり何もできない自分に落ち込んだ。
それでも,単位もなんとかとれて留年せずに大学を卒業できたのは周りの友人に助けられ,
周りの友人と遊ぶことで鬱憤を晴らすことができた。
だからなんだかんだ,大学生活は楽しかったと思う。



こんな考え方で大学院に進んだのはよろしくない傾向であるのだけど,今思うと
やっぱりよろしくなかった(笑)
大学院に進学した理由は,大学生活において身に塗った専門知識を大学院で使えるものに
したかったからだ。はっきりいって,電気科の工業高校生の方が実技ができるという点で
大学生卒の自分よりも優位にあるため,外に出ても自分は絶対に役に立たないと思っていた。
この考えが正解か否かは今後働くうちに答えが出ると思う。
大学院でよろしくなかったというのは,最近2年間を振り返っても大学院生として大した
仕事をしてこなかったからだ。もちろん,研究をしたかったから進学したのではない。
しかし,「郷に入れば郷に従え」という言葉があるように,大学院生にやるべき仕事を
与えられ,それをほとんど遂行できなかったというのは恥ではないのだろうか。
それでも,大学院において常に何がどうしてこうなったということを文章におこすことを
やっていって,先生から奈落に突き落とされるうちに物事を定量的に考えられるようになり
人の話を理解する力もついてきたんじゃないかと思うと,進学してよかったのかもしれない。
力がついてきたということは,その分怒られてきたわけで,研究においてチャレンジしたい
気持ちは0である。また,自分はやっぱり何もできないんだと自分に対して諦めてしまった。
結果として成長したので合って,成長したくて成長したわけじゃないから,考え方が
ネガティブに,そしてひねくれるようになった。
これらの点に関しては就職活動も影響しているのではないだろうか。
建前が言えないと社会参加することが難しい社会。知らない人が悪い社会。
人というものは愚かで醜い生き物だというのは薄々感じていたけれど,やっぱり人の社会と
いうのは愚かで醜いものだというものを少しばかり実感した。



これらのことを経験して自分がたどり着いた考えは,自分が楽しいと思うことをして,他のことは
淡々と進めていき,ストレスを感じないようにすることが人生を楽しむということだということだ。
自分が楽しいと思うことをしてというのは,一人で,というわけではない。
楽しいと思うことといっても,あるAということを楽しむためにはAに関して勉強しなければ
ならない。勉強していくうちに自分だけじゃAにおける何かが分からなくなる。そこにAに詳しい人
あるいはAにおける何かに詳しい人に訪ねれば教えてもらえるかもしれない。
結局,Aということに関して1人で楽しむのはほぼ無理だということ。
だから,自分が楽しいと思うことをして多くの人と交流することで,自分の知らなかった領域を
開拓していこうと思っている。今は1人だけれど,これから広げていく。
このような考え方ができるようになったのは歳のせいかもしれないし,大学・大学院生活のせいかも
しれない。でも,やっぱり大学・大学院生活のおかげでここまで来れたと思うのが精神衛生上
よいのかもしれない。



だから,だんだん頭がこんがらがってきたけど,大学・大学院の6年間は自分の生き方を考えるため
のよい人生設計期間となりました。いままでお世話になった方々へこの場を通じて感謝致します。
ありがとうございました。