生きているヒトの日記

基本的に誰かに読んでもらうものではない。生きたいよう生きている我儘な内容でもよければゆっくりしていってね。

透明性と不透明性


目で見える、「透明性」とは光の直進具合である。



では、会社内での透明性などといわれる「透明性」とは。。。
曖昧なもんですね。
曖昧語万歳みたいな。
たまに、自分の生き方について不透明性が出ると生きることに不安を感じる。
なぜ不透明性が出るか?
大概は被害妄想など、考えすぎによる八方塞か、解決できるはずもない問題か
あるいはあきらめが早いか。



今回は諦めが早いだけか。
自分の生き方は正解か、不正解か?そんな結果論言ったってしょうがねぇよって感じだ。
でも、要らない苦労をうまく潜り抜けることをしている人を見るとうらやましくかんじる。
まったく透き通っていないのに、さえぎられる事なくガラスを透過する光のように。
果ては、そもそも光を通すことすらしていないか。



あーあ。こんな事考えてても意味ないのに・・・
叫んで叫んで、真っ黒な炎を出したい。