生きているヒトの日記

基本的に誰かに読んでもらうものではない。生きたいよう生きている我儘な内容でもよければゆっくりしていってね。

嫌いなことをつらつらと書く

僕は喋るのが嫌いだ。
なぜかといえば、初めは馬鹿なのがバレるのが嫌だからあまり喋らなかったていうのと、目立って変な被害を受けるのが嫌だったから。
だけど、今になって振り返れば、どうしても喋り続けようとすると綺麗事を他人事風に伝えがちな自分が嫌で喋らないことが多いのだと思う。
「あいつの**が嫌いだ」
「あれのこれが嫌だ」
言うのはかんたん。なんとなくモヤモヤがスッキリしそうな気がする。
だけど、それって自分に投げかけるとどうだろう。
**なるものがじぶんにも当てはまり、条件さえ整えば簡単に逆の立場として言われると思う。
そんなわけで、文句を言えばどこかで自分に害が及ぶと思い、文句もあまり言わなかった。
よっぽど、腹が立つとき以外は。
あと、会社に入ってからさらに喋らなくなったように思う。
噂が広がるのが嫌だから。
それと相手の話す内容が自分の興味とかけ離れているため、話すことがないってのもある。



僕は綺麗事が嫌いだ。
アドバイスをくれる先輩はいっぱいいる。
自分の助けになったアドバイスがあればアドバイスをもらおうと思ったら説教とストレスをもらうアドバイスもある。
他にも理想論すぎて今知りたい状況のアドバイスがもらえず、時間の無駄と思ってじぶんの中で切ったアドバイスもある。
そんな中で理想論すぎるアドバイスまたは説法が嫌いだ。
「一般論はいいんだよ。今俺が説明した内容の問題をあなたならどう解決する。どう考えばいいのかが知りたいんだ」
ドヤ顔で説明する人ほど、そこを思う。
自分は変に顔に出して今後の付き合い方を考えなければならないことが面倒なので、欲しいアドバイスでないときは「俺の質問が悪かった、我慢しよう」と心を閉じている。
これって「文句を言うのは簡単。ならお前やってみろよ」と口だけ厨への思いと同じだなあと思った。



僕は文句は言いたいけど、文句を言うんための責任が果たせないので言わないだけ。
責任を取りたくないがために何も言わないというのは無責任と言われるだろうけど、なんだかんだ言って第三者は第三者。最終的な被害を受けるのは本人。



結局何が言いたいかというと、今の人生は嫌いだ。