生きているヒトの日記

基本的に誰かに読んでもらうものではない。生きたいよう生きている我儘な内容でもよければゆっくりしていってね。

ひとりだけ違う世界にいる感覚

まわりと違う自分ってどこかカッコいいと私は思う。
その一方で、そのジャンルが会話となると寂しいと思う。
よく言えば、一匹狼、悪く言えばただのはぶられた人。
今日は会社の先輩の結婚式の二次会、三次会に行っていた。
基本、僕がしゃべることはなく、周りの話に相槌をうったり共感の言葉を
発するだけだった。たまに話をふられてしゃべらないといけないことはあったけど。
地方とか、食べ物とかの話は積極的に聴いてたけど、恋愛とか、男とか女とか
どうであるべきといった内容の話になると途端に興味がなくなっていた。
結局お前ら、自分に都合のいい人間がいて欲しいと思う。そんだけなんだろ?
と自分にも言える結論を発したくなる自分が嫌になって、あんまり話に参加しなかった。
恋愛の何がいいの?恋と結婚すれば?



と、一人だけぐちぐちとお祝い事である会の内容などほっといて自分勝手なことを思っていた。
お祝いする気0ですかw
後から聞けば、参加していた会社の先輩(独身)の方は、誰かいい人はいないか探していたそうな。
私はといえば、知らん人がいっぱいおる。こわいなあ。とりあえずその場を楽しめたら良いな。
程度。
マイノリティを楽しんでいたかといえば否だけど、マイノリティだ。かっこいいぜ自分みたいなことは思っていた。
だからこそ、帰りぎわに先輩から「番号をきいとかなくていいか?」とフォローしてくれてたのに
それに対してアレルギー反応が出てしまったのだと思う。
よくないと言うのは客観的に知っている。主観的にはいいと思っている。人嫌いだから。
その理由は、人付きあいをすると付き合い方に悩むから。
だけど、そこで生じる喜怒哀楽にこそ、人の美しさがあるということは、なんとなく理解できている。
結局それは客観的な考え。主観的には何も変わっちゃいない。
変えるメリットが見つけられないから変える気が起こらない、変えられない。
そうして自分が嫌になっていく負のサイクルは循環し続ける。
ええ、そうですよ。無駄な26年間を過ごした今、現在進行形で継続中です。
もうみんななくなっちまえばいいのに!